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[企画監修]岐阜ちょうちん 〜お盆とWAGOKORO〜

2018.08.05

岐阜ちょうちん 〜お盆とWAGOKORO〜

 

制作:岐阜放送 2016.06.30. On Air

 

岐阜提灯協同組合が、お盆に提灯を飾ることの意味や歴史について私たち日本人に改めて伝えるために制作した情報番組。全国の盆提灯販売店に配布されたほか、岐阜市内の小中学校に視聴覚資料として寄贈された。番組制作にあたり企画監修で参画し、番組シナリオを執筆した。

 

[全文公開]番組シナリオ

1.現在(和の心/夏の風物詩/生活の様式)

 

1-1.大切にしたい和の心

「感謝」や「尊敬」の気持ちを表すこと。日本人が古来より大切にしてきた「和(=日本)の心」。自然のもの全てには神が宿っており、それらに畏敬の念を表わすことを象徴的に示す「八百万の神」。「七福神」の絵を飾ることや、「招き猫」や「福助」、「だいこく様」などの置物を飾ること、これらは信仰心が形となって表されたものだ。仏教の伝来以前から私たちの心の中にある日本固有の「神道」として、国家の形成にも強く影響を与えてきた、伝統的な「しきたり(昔からの慣わし)」だ。

また、日本人に最も広く知られた言葉の一つであり、聖徳太子が西暦600年頃に制定したとされる十七条憲法の第一条に出てくる「和を以て貴しと為す」。これこそが「和の心」の原点とされる言葉なのである。「人々が公共の利益を実現するためにはお互い仲違いすることなく、こだわりや私心を捨て公正な話し合いで調和していくことが最も大切なことである」という教えである。「和の心」とはすなはち、「個人を重視するのではなく、集団における秩序や調和、また礼儀を重んじる」ということ。

1-2.夏を代表する風物詩

「夏の風物詩」の「花火大会」や「盆踊り」、京都や奈良、箱根などで行われることで有名な「大文字送り火」、「灯籠流し」や九州の一部地域で行われる「精霊流し」は、特定の思想や宗教とは切り離され、すっかり私たちの身の回りで当たり前の行事として定着している。仏教の行事と思われがちであるが、これらはすべて「先祖を敬う」という日本古来の風習がその由来である。日頃から先祖を敬う心を大切にし、夏に先祖の供養を祭事として行うことは、8世紀ごろには確立していたと考えられている。

夏の「花火」は、先祖の霊の鎮魂を願って打ち上げたのが起源であると云われている。また、郡上踊などの「盆踊り」は、お盆に戻ってきた先祖の精霊を踊りながら送り出すためのものであったとされる(諸源・諸説あり)。そして「大文字送り火」は、お盆の時期にお迎えしたご先祖さまの霊を再び送り出すときに、迷われることがないようにと焚かれるものだ。「灯籠流し」や「精霊流し」も、先祖の精霊を弔って「送り火」の一種として灯篭やお供え物などを川や海に流すという、日本古来の行事である。

1-3.移ろいゆく生活の様式

先祖の精霊を家に迎え入れるための目印となる「迎え火」として用いられるのが、これも夏の風物詩の一つと云える「盆提灯」だ。お墓からの帰り道を灯して門前に吊るす「御所提灯/門提灯(吊り提灯)」と、家の中でお盆の期間中に灯し続ける「大内行灯(置き提灯)」とがある。そのいずれも、日頃から敬って已まない先祖の精霊を清らかな気持ちで迎え入れ、喜んでもらえるうようにとの畏敬の念と感謝の気持ちを表すもの。お盆は家族が一堂に揃い、日頃の生活を振り返る大切な役割も果たしている。

こうした日本人の古来からある伝統的な思想、風習、そして生活習慣の根幹をなしている「和の心」。家族構成や住宅事情、ライフスタイルの変化によって、徐々に薄れてきてしまっているように思われる。しかしながら、「盆と正月が一緒に来たよう(嬉しいことや楽しいことが重なって来たことの例え)」ということわざがあるように「お盆」の風習一つとってみても、私たちの生活や文化にしっかりと根づき、脈々と受け継がれていくべき、日本人として生きていく上で忘れてはならない魂の源泉である。

 

2.歴史(仏教伝来以前からあるお盆の風習)

 

2-1.お盆のはじまり

お盆は、先祖の精霊をお迎えして供養する大切な行事として、仏教の伝来以前より毎年欠かさず行われてきた日本古来のものである。この時期は米の収穫が見込まれる頃。お盆にその収穫の感謝の意味で、神様や田畑を耕してきた先祖へ乾物や麺類などをお供えし、提灯の灯りで精霊を迎えて慰め、日頃の農耕の労を癒す祭事として行われてきた。仏教の伝来以降は、日本人の寛容さから仏教の教えやその行事との融合が図られたきたが、地域や仏教の宗派によって行事の様式や形態は異るものとなっている。

江戸時代にお盆は、日本中の家庭で7月15日(当時は旧暦)を中心として行われてきた。明治時代となって新暦(太陽歴)が採用されると(明治6年=1873年)、都市部では新暦の7月15日を中心とした日程となったが、農家にとっては一年中で最も忙しい農繁期と重なってしまい、ゆっくりと先祖供養をすることができないことから、一ヶ月待って8月15日を中心に月遅れのお盆とする地域が現れた。また、沖縄・奄美地方などでは、今も旧暦の7月15日をお盆とする習慣のままとなっている。

2-2.新盆のならわし

先祖が亡くなり、初めてお迎えするお盆を「初盆・新盆」という。初盆を迎えた家に向けて、葬儀に参列した人々の中で特に親しい人、お世話になった人が提灯や盆菓子などを贈るのがならわしである。はるか昔に亡くなった先祖に比べ、つい最近まで家族の一員だった人に対しての方がより追慕の気持ちは強く、特別におもてなしをしたいという心から、初盆の風習は始まったといわれている。家族や友人に集まってもらい、初めて先祖の精霊が家に帰るため、普段よりも丁寧に供養するのが良いとされる。

初盆の家では、門前や仏壇、お墓に白一色の盆提灯を立てるのが通例である。白い提灯であるのは清淨無垢の白で逝去した霊を心清らかに迎えるという意味を持つ。また、白一色である理由には、初めて帰ってくる故人の霊が迷わないような道しるべとして分かりやすく目印とするためでもある。この白提灯を飾るのは新盆の時の一回限りで、お盆が終わったらその白提灯はお墓やお寺の送り火で焚き上げて供養することで精霊を送り出す。また、家紋や絵柄が入った盆提灯は毎年飾るのが通例となっている。

2-3.お盆の行事[現在]

8月もしくは7月(地域による)

 1日 黄泉の国の扉が開き精霊が里帰りするため旅立つ日。盆提灯を飾り始める。

 7日 ご先祖の精霊にお供えする食器類を洗い準備する日。お墓の掃除に出かける。

12日 「盆花」を採取する日。

13日 お盆の入り。「精霊棚」のお飾りを済ませてから、お墓参りに出かける。

[迎え盆]=「迎え火」を焚き、提灯に火を入れて、ご先祖の精霊をお迎えする。

14・15日 ご先祖を供養する2日間。会食や読経をして過ごす。

16日 お盆の明け。先祖の精霊が帰る日。[送り盆]=「送り火」を燃やし、精霊を送り出す。

 

3.解説(飾ること/贈ること/お盆の意義)

 

3-1.盆提灯を飾ること

お盆の行事は、推古天皇の606年に行われていたことが日本書紀に記されており、平安・鎌倉時代には定着していたことが分かる。江戸時代に入ると民間の行事として盛んとなり、お盆に親族や知人の家を訪ねて挨拶するとともに、お米やそうめんなどの贈答をする「盆礼」の風習が行われるようになった。これがお中元の起源である。

また、鎌倉時代の京都において、お盆に精霊を迎えるための目印として、門前に高い竿を立てたその先に提灯を掲げる「高灯篭」が行われ、その風習が盆提灯を飾るという形で今に引き継がれてきたとされる。初盆以降に飾られる家紋や絵柄のついた盆提灯は、一対で用意して、お盆が終わったら綺麗に掃除をして翌年まで保管しておく。

3-2.盆提灯を贈ること

新盆を迎える家に、親戚や子供、親しかった友人から故人の精霊を華やかに迎えて慰める供養の意味で「盆提灯」を贈りお供えする習慣は、日本古来の風習として古くからある。提灯は精霊を送迎する意味だけではなく、生前のご恩に対する感謝の気持ちと精霊に安らかに成仏してほしいという祈りを込めて行う先祖供養の表し方なのだ。

盆提灯は贈られる数が多ければ多いほど故人が周囲の方々から慕われていたことを示すもので、生前の交友関係の広さ、信頼関係の深さを図るバロメーターとなる。贈る側としては生前にお世話になった、親しくお付き合いさせて戴いたという感謝と畏敬の念を表すこととなるので、その想いの深さに見合ったものを真心を込めて贈ろう。

3-3.お盆の行事の意義

お盆に家族や親しい知人が集まって先祖を懐かしみ、感謝することによって命のルーツが実感でき、親子や知人・友人との絆を強めることができる。そして、親孝行の心が脈々と受け継がれていくこととなり、笑い声の絶えない円満な家庭を築くことができる。ご先祖さまを偲ぶことで私たちの心は安らかに、そして豊かになるのである。

お正月に初詣に行くことの本来の意味は、五穀豊穣を司るその年の神様を各家庭にお迎えし、おもてなしするためである。その準備が年末の大掃除であり、門松は神様が迷わないようにとの目印、鏡餅は神様へのお供え物だ。お正月に神様をお迎えすることと等しく、お盆にご先祖をお迎えすることは、日本人にとって大切な行事なのだ。

 

4.現代人のライフスタイルと盆提灯の様式

 

4-1.受け継がれる心と職人の技

盆提灯の代表的な産地の一つである岐阜市。ここで作られる岐阜提灯は岐阜県を代表する伝統産業であり、盆提灯の産地として300年以上の歴史を誇る。織田信長が治めた岐阜城を頂に置く金華山の麓、清流長良川の上流から運ばれてくる美濃和紙や木材、そして竹を素材として作られるようになった。岐阜提灯の姿、形、そして火袋に描かれる絵柄は優美で品格があり、私たちが大切にしてきた「和の心」とともに、永年に渡って代々の作り手によって脈々と受け継がれ、一つ一つ丁寧に作り込まれている。

提灯を作るうえで熟練を要する擦込、張り、絵付の工程を始め、職人はすべての工程において、自らの先祖への感謝の気持ちや畏敬の念を忘れることなく丹精込めて作り上げていく。擦込は提灯の顔となる絵柄がつけられていく工程で、多いもので100の型紙を用いて擦られていく。張りの工程は、バラバラの紙が慎重に張り合わされ火袋となり、次第に提灯の姿となっていく。絵付は無地の火袋に直接手描きで絵柄を入れていく工程で、数々の伝統的な日本画の技法を用いて、提灯に魂が入れられる瞬間だ。

4-2.現代人のライフスタイル

すべてのものに神が宿ると考える日本人は、舶来の宗教や文化に対して寛容な姿勢で受け入れ、日本古来の生活文化、習慣、風習に取り入れてきた。仏教が伝来してからも、神仏混淆(習合)という言葉がある通り、神道と合わせて一つの信仰体系として再構成してきた歴史がある。また、今日においてもキリスト教の祭典であるクリスマスや、欧米文化の収穫祭に端を発するハロウィンのイベントを躊躇なく生活の一部に取り入れ、人々が集い、祝う。バレンタインデーに至っては、独特の様式が定着している。

お盆の行事の内容や風習も、日本古来のものと仏教の行事が習合したものとして、今日に至っている。期間も様式も、地方それぞれに様々なものとなっており、必ずしも定まったものはない。しかしながら、お盆が祭り事として、にこやかに先祖をお迎えして、心豊かに、そして楽しく家族で過ごす時間であるべきということについては、全国に共通して云えること。日本人として生まれてきたからには、これからも大切に守り続けていきたい伝統であり、文化であり、風習であり、生活の一部であるといえよう。

4-3.現代における盆提灯の様式

これまでの歴史の中で、盆提灯の産地である岐阜では、世界的に有名な彫刻家であるイサムノグチ(1904-1988)の手による[AKARI]が200種類以上生産されている。それらは世界中で注目されてインテリアとして飾られて人々の生活に潤いと彩りを与えるなど、広く人々の生活の中に姿・形を変えて溶け込んでいる。そして盆提灯も、現代人のライフスタイルや住宅環境の変化にマッチするようにと、サイズを小型にしたものや、プロダクトデザイナーの手による全く新しい形のものなどが創り出されている。

デザイン性が高くインテリアと調和するような創作提灯であっても、従来からある伝統的な盆提灯であっても、大切なのは先祖に敬意を表して感謝する思いであり、人々が集うなかで調和や礼儀を重んじる気持ちであり、日頃の生活を振り返る心である。先に形式にこだわることなく、日本人として生まれてきたからには「和の心」を大切にし、その表現の一つの形としてお盆に人々が集まる場を設けてそこに盆提灯を飾り、そして贈答品として気品ある盆提灯を選ぶ習慣を改めて見直し、心豊かな生活を送ろう。

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